2021-05-18 第204回国会 参議院 農林水産委員会 第12号
渋沢栄一さんがかつてこんなことを言っておりまして、仁義道徳と生産利殖は元来共に進むべきものであるということで、現代でもその持続可能性と生産性の向上を両立させるというのがどのような分野にも必要だということになる、ちょっとこじつけみたいですけれども、そう私は思うんですね。
渋沢栄一さんがかつてこんなことを言っておりまして、仁義道徳と生産利殖は元来共に進むべきものであるということで、現代でもその持続可能性と生産性の向上を両立させるというのがどのような分野にも必要だということになる、ちょっとこじつけみたいですけれども、そう私は思うんですね。
まさに武力ではなく仁義、道徳で対応しろ、やってほしいということを孫文は日本に期待したんだと思います。私は、まさに今の中国にこの言葉がふさわしいんじゃないかというふうに思っています。
富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。論語とそろばんは両立する。 こういうことであります。 最も重んずるべきは信である。信を守らねばたちまち失敗する。知、情、意の三者が権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だと考える。
アメリカあたりにばくち場で栄えている、火事ばかり起こしている都市がありますが、浜幸さんなんかが権威者のようでありますけど、ああいうところに次ぐ――ばくち打ちというか、かけの名人が仁義、道徳を説いても、こいつはいただけないんで、ただ広告料が上がるからテレビでも新聞でも広告は載せるんだけれども、国民はいただかないと思うんです。
従つて日本の苦しい占領下においてすら、国民のかような形において終戦処理については協力しておる涙ぐましい日本の現状と、彼らがいわゆる仁義道徳の国とみずから誇るアメリカが、ガリオア、イロアとして出したものを、それをも取上げて決済しなければならないというようなりくつは、人道主義のアメリカにしてはあまりにもおかしいと思う。
その弱点につけこんだ残忍な案が何と仁義道徳を説く先生がたから出ているのだ」。こういうあれがあつて、而も書いておる人が漢文の先生ですよ。つまり漢文の場合について最もよく知つている人からこういう問題が出ているので、事実その大学の入学試験に漢文がなくちやならんという理由が僕にわからない。
無宗教も一つの理論は立ちますけれども、眼中に宗教がない人はえてして――仏教であれば慈悲であり、キリスト教であれば愛であり、儒教であれば仁義道徳、日本流に解釈すれば、義理人情といいますか、この義理人情なく、道徳なく、愛なく、慈悲がないのが共産党の特色であります。